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懐かしい 写真の本

新聞に載っていたので、購入してみました。医院の書棚に置いています。

1978年から17年間の写真。

僕はほぼ同世代なので、写真を見て懐かしい感じもしたし、寂しい感じもしました。

ゲーム機の登場などで、子供の遊び方も様変わりしていくようすが分かります。

昔は良かったと思ってしまうのは、年をとったからか、それともきちんと年をとれてないからか。

僕の周りでは、ファミコンが登場しても、僕も含めて買ってもらえない子も多かったので、みんな外で本当に無邪気に遊んでいました。
ゲーム機の影響がまだ少ない環境だった。
学校から帰ると、自然とみんな集まる。
子供も多いし、活気がありました。
福岡市東区千早周辺には、団地がたくさんありました。
国鉄も公務員も県営も市営も団地だらけだった気がします。
高層なのはサンライフってマンションくらい? 

この本の中に、団地で遊んでいる様子の写真がありましたが、色々と思い出させてくれました。 
危険な冒険。
あの頃の団地には、階段脇にダストシュートがありました。
下から上の階まで繋がった縦穴があります。
僕が子供の頃には、すでにダストシュートは使用禁止になっていましたが、子供達にとっては絶好の秘密基地です。
4階まで、手と足で突っ張って登ったり、今思えば恐ろしい事をしていました。
平屋の倉庫の上くらいは、みんな平気で登って遊んでいたし、2階から飛び降りたりもしてました。
団地の中の広場でよく野球をしていたのを思い出します。
飛ばす子は、団地の部屋に打ち込んでしまって、謝りにいったり。
それが良い事とは思いませんが、すごく楽しかったし、あの頃の大人はみんな寛大でした。 

団地の中にも木はあって、木登りもできたし、道草でよく分からない葉っぱを口に入れたりしてました。
桜の木に登って遊んで、毛虫に身体中やられたり。
ちょっと行けば、海もあったし、名島まで行けば川もありました。
危ないから行ってはダメと言われてた所は、全部行って遊んでました。 

団地の裏には、広大な埋立地が広がってました。
侵入禁止ですが、みんなどんどん入っていってました。
大人達の目はたくさんありましたが、遊び場はたくさんあるので、大人の目を盗んで冒険することもできました。
汚いから入ったらダメみたいな事を言われてましたが、確かにゴミはたくさんありました。
ザリガニがたくさんいて、釣って遊んでました。
ザリガニを持ち帰った時点で、埋立地に行ったのはバレバレなのですが、みんな大して怒られることも無く。

広大だった遊び場も時が経つにつれ、減っていきました。
郵便局ができたり、いろいろ建った。
埋立地の端に建った最初の建物は、古い団地に住んでいる僕から見ると憧れる綺麗さでした。
母親に、あそこに住みたいって言った時に微妙な顔をされたのを思い出します。
後に理解できたのですが、予備校の寮でした。
それからしばらくして、あのゴミだらけの埋立地に高級マンションがどんどん建ったのはびっくりしました。 

小学生の高学年の時に、郊外の住宅地に引っ越したのですが、千早の方が郊外よりも遊び場は多かったです。
あの頃の団地が一番贅沢な場所だったと、今になると思います。 

習い事も塾も否定はしませんが、そんな事せずに毎日遊べてた昔の子の方が、今の子より贅沢な時間を過ごしてたと思います。

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